葬儀の知識

もがりとは?古代の葬送儀礼と通夜との関係を解説!

終活のトリセツ

「大切な人を失った悲しみは、どうやって乗り越えていけばいいのだろう」

そんなふうに感じたことはありませんか?

実は日本には古代から、もがりという葬送儀礼がありました。故人をすぐに埋葬せず、時間をかけて別れを受け入れていく風習です。この儀礼から学べるのは、悲しみと向き合う大切さではないでしょうか。

現代ではほとんど行われなくなりましたが、もがりの考え方を知ることで、喪失感とどう付き合うべきか見えてくるかもしれません。ここでは古代の葬送儀礼もがりの意味や歴史、そして悲しみから立ち直るための考え方を紹介していきます。

もがりとは?

1. 古代の日本で行われていた葬送儀礼

もがりとは、古来の日本で行われていた独特の葬儀の形式です。お墓が完成する前や本葬の前に、遺体をしばらく棺などに納めておく風習でした。

すぐに埋葬してしまうのではなく、時間をかけて故人とともに過ごします。そうすることで、遺族は少しずつ別れの現実を受け入れていくことができたのです。

この儀礼はかなり古い時代から存在していたようです。3世紀に書かれた「魏志倭人伝」にも、もがりと思われる記録が残されています。当時から日本人は、死別に時間をかけて向き合う文化を持っていたことがわかります。

2. 死者の霊魂を鎮める通過儀礼という考え方

もがりには、死者の霊魂を鎮めるという目的もありました。古代の人々は、亡くなった人の魂がすぐには離れていかないと考えていたのです。

身分が高い人ほど、その霊力も強いとされていました。だからこそ長い時間をかけて、丁寧に鎮魂の儀式を行う必要があったわけです。祟りを恐れる気持ちもあったかもしれません。

一方で、遺族にとっては故人への想いを馳せる貴重な時間でもありました。悲しみの中でも、ゆっくりと心の整理をつけていくための期間だったのでしょう。

3. 語源は「喪上がり」という説

もがりという言葉の語源については、「喪上がり」が音変化したものではないかという説があります。喪が明けるという意味ですね。

他にも「荒城(あらき)」「殯斂(ひんれん)」「かりもがり」といった別名でも呼ばれていました。地域や時代によって、さまざまな呼び方があったようです。

興味深いのは、どの呼び方にも共通して、一時的な安置や仮の状態を表す意味合いが含まれている点です。永遠の別れに至る前の、大切な移行期間だったことが言葉からも伝わってきます。

もがりが広まった理由

1. 遺体の変化を見届けて死を受け入れるため

もがりが広まった理由のひとつは、遺体の変化を目の当たりにすることで死を受け入れるためだったといわれています。これは現代人にとっては少し厳しい現実かもしれません。

しかし古代の人々は、遺体が腐敗して白骨化していく過程を見守りました。そうすることで、どれだけ願っても故人は戻ってこないという現実を、心の底から受け入れることができたのです。

つまり、復活への願いを断つという意味合いがありました。目を背けたくなる変化と向き合うからこそ、本当の意味で別れを実感できたのかもしれません。段階を踏んで悲しみと向き合う知恵だったといえるでしょう。

2. 祟りを恐れて慰霊する時間が必要だった

もうひとつの説は、亡くなった人の祟りを恐れて、祟られないように時間をかけて鎮魂を行うためというものです。これは当時の死生観を反映しています。

特に急死や不慮の死の場合、魂が安らかに旅立てないのではないかという不安がありました。だからこそ丁寧に供養し、慰霊の儀式を繰り返す必要があったわけです。

現代では祟りという考え方は薄れましたが、故人を偲び供養する気持ちは変わりません。形は違っても、大切な人への想いを表現する行為は、今も昔も同じなのかもしれませんね。

3. 死者の復活への願いを断つ役割

どちらの説にしても共通しているのは、つらい現実を受け入れていくという意味合いです。時間をかけて死者と過ごし、故人に思いを馳せながらも、最終的には別れを受け入れていきます。

復活を願う気持ちは誰にでもあるものです。けれど、その願いをいつまでも持ち続けることは、遺族自身を苦しめてしまいます。

もがりは、そうした心の整理をつけるための猶予期間でした。現実をゆっくりと受け止め、悲しみの中から少しずつ前を向く力を蓄える時間だったのです。古代の人々の知恵が感じられます。

もがりを行う場所と期間

1. 喪屋や殯宮と呼ばれる安置施設

もがりを行う場所は、喪屋(もや)や殯宮(もがりのみや)と呼ばれる特別な建物でした。故人の棺を安置するために作られた施設です。

天皇が亡くなった場合は特に規模が大きく、殯宮の周辺には殯庭(もがりのにわ)と呼ばれる庭も整備されました。祭壇に供え物をし、関係者を集めてさまざまな儀式が行われていたようです。

一般の人々の場合は、もっと簡素なものだったと考えられます。けれど身分に関わらず、故人を偲ぶための空間を設けることは共通していました。特別な場所で静かに時間を過ごすことが大切だったのでしょう。

2. 身分が高いほど長く行われていた

もがりの期間は、故人の身分によって大きく異なっていました。身分が高い人ほど、長い期間もがりが行われていたのです。

これは前述したように、身分の高い人の霊力が強いと考えられていたためです。丁寧に時間をかけて鎮魂する必要があったわけですね。

庶民の場合は数日から数週間程度だったと推測されます。それでも現代の葬儀と比べれば、かなり長い時間を故人とともに過ごしていたことがわかります。悲しみを癒すには、それだけの時間が必要だったのかもしれません。

3. 天武天皇の時代には2年以上続いたことも

天武天皇が崩御した際には、なんと2年以上にもわたってもがりが行われていた記録があります。驚くほど長い期間ですよね。

これは極端な例かもしれませんが、天皇という特別な存在だからこそ、それだけ長い時間をかけて弔う必要があったのでしょう。国家的な儀式でもあったわけです。

その後、持統天皇の時代になると火葬が導入されたことで、もがりの期間は短縮されていきました。それでも昭和の時代まで、天皇家ではこの伝統が受け継がれてきたのです。

古代書籍に残るもがりの記録

1. 魏志倭人伝にも残る儀礼の様子

3世紀に中国で書かれた「魏志倭人伝」には、古代日本の葬送儀礼についての記述があります。その中に、もがりと思われる風習が記録されているのです。

当時から日本では、亡くなった人をすぐに埋葬せず、一定期間安置する習慣があったことがわかります。つまりもがりは、少なくとも1800年以上前から存在していた可能性があるわけです。

古代中国の記録にも残るほど、特徴的な葬送儀礼だったのでしょう。日本独自の死生観を反映した、興味深い文化といえます。

2. 日本書紀や万葉集の中の殯宮

「魏志倭人伝」以外にも、「日本書紀」や「万葉集」の中にもがりや殯宮についての記述が見られます。日本の古典文学にも、数多く登場する儀礼だったのです。

万葉集には、殯宮で詠まれた悲しみの歌も収められています。故人を想う切ない気持ちが、言葉となって残されているわけですね。

こうした記録から、もがりが単なる形式的な儀式ではなかったことがわかります。本当に大切な人を失った悲しみと向き合い、その想いを表現する場でもあったのでしょう。

3. 近親者が集まり食物を供えて泣き叫んだ

古代書籍の記録によると、もがりの期間中には近親者が集まり、食物を供えて泣き叫んだとされています。現代の感覚からすると、かなり激しい表現ですね。

しかし、それだけ悲しみを素直に表現していたともいえます。感情を抑え込まず、思い切り悲しむことが許されていたわけです。

泣くことは心の浄化にもつながります。涙を流すことで、少しずつ心が軽くなっていくものです。古代の人々は、そうした心理を本能的に理解していたのかもしれません。

もがりが衰退した背景

1. 薄葬令の制定で簡素化が進んだ

もがりが衰退していったきっかけのひとつに、646年(大化2年)に制定された「薄葬令(はくそうれい)」があります。これは葬儀の簡素化を進める法令でした。

薄葬令では、身分に応じて墳墓の大きさや規模を制限しました。庶民の厚葬は禁じられたのです。長期間にわたるもがりも、制限の対象だったと考えられます。

ただし実際には、あまり効力がなかったともいわれています。庶民はその後もしばらくの間、もがりを続けていたそうです。法律で禁じられても、すぐに習慣が変わるわけではないのですね。

2. 仏教の伝来と火葬の広がり

仏教が中国から伝来し、火葬で弔う方法が広がったことも、もがり衰退の大きな要因です。火葬が普及すると、長期間遺体を安置する必要がなくなりました。

仏教の葬儀は、もがりとは全く異なる形式です。僧侶による読経や供養が中心となり、より儀式化された葬送方法が定着していきました。

新しい宗教の伝来は、葬送儀礼にも大きな変化をもたらしたわけです。日本古来の習慣と仏教の教えが融合しながら、現代の葬儀の形が作られていったのでしょう。

3. 衛生面の問題が認識されるようになった

長く遺体を保管することが不衛生であるという認識が広まったことも、もがりが衰退した理由のひとつです。これは非常に現実的な問題でした。

特に夏場など気温が高い時期は、遺体の腐敗が早く進みます。衛生面でのリスクが高く、感染症などの危険もあったでしょう。

時代が進むにつれて、こうした衛生観念が発達していきました。儀礼としての意味は大切でも、現実的な問題を無視することはできません。さまざまな理由が重なって、もがりは徐々に姿を消していったのです。

皇室に受け継がれる殯の伝統

1. 現代でも行われる殯宮祗候という儀式

一般的にもがりは衰退しましたが、皇室では現代まで伝統として受け継がれてきました。天皇が崩御した際には、今でも殯宮祗候(ひんきゅうしこう)という儀式が行われます。

この儀式は24時間体制で行われます。宮内庁関係者や政治家、経済関係者などが10名ほどのグループを作り、交代で殯宮に参列するのです。

殯宮は真っ暗で静かな状態に保たれます。そうした厳粛な空間で、亡くなった天皇を偲ぶ時間を過ごすわけです。古代から続く伝統が、形を変えながらも守られていることがわかります。

2. 昭和天皇の崩御では約2ヶ月間続いた

昭和天皇が1989年に崩御された際、もがりの期間は約50日間続きました。1月8日から2月24日の「大喪の礼」まで、およそ2ヶ月にわたる長期間です。

この間、多くの関係者が殯宮祗候に参列しました。連日続く儀式は、参列者にとっても大きな負担だったに違いありません。

それでも伝統を守り続けることに、皇室の強い意志が感じられます。天皇という特別な存在だからこそ、丁寧に時間をかけて弔う必要があるという考え方なのでしょう。

3. 上皇陛下のお言葉で注目された重い儀式

2016年8月、上皇陛下(当時は天皇陛下)がビデオメッセージで、もがりについて言及されました。これにより、一般の人々の間でもがりが注目されるようになったのです。

メッセージでは「重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が1年間続きます」と述べられています。行事に関わる人々、特に残される家族が非常に厳しい状況に置かれることも指摘されました。

これは、伝統の重さと同時に、現代における課題を示すお言葉でした。大切な伝統ではあるものの、時代に合わせた見直しも必要なのかもしれません。そう考えさせられる内容だったのです。

通夜はもがりの名残という説

1. 一晩だけに短縮された形式

現代の通夜は、もがりの名残ではないかという説があります。確かに共通点が多いのです。

もがりは長期間にわたって故人とともに過ごす儀礼でした。それが時代とともに簡素化され、一晩だけに短縮されたのが通夜だというわけです。

通夜では遺族や親しい人が集まり、一晩中故人のそばで過ごします。これはまさに、もがりの精神を受け継いだ形といえるでしょう。形は変わっても、本質的な意味は残されているのかもしれません。

2. 故人を偲ぶ時間という共通点

通夜ともがりに共通するのは、故人を偲ぶための時間だという点です。別れを惜しみ、思い出を語り合い、悲しみを共有します。

昔の通夜は、本当に一晩中起きて故人を見守りました。今でも地域によっては、そうした習慣が残っているところもあります。

すぐに別れを告げるのではなく、もう少しだけ一緒にいたい。そんな気持ちは、時代を超えて変わらないものです。通夜という形で、もがりの心が現代に受け継がれているのでしょう。

3. 現代に残る死者と過ごす習慣

通夜以外にも、死者とゆっくり過ごす習慣は現代にも残っています。たとえば自宅で一晩安置したり、葬儀場で面会時間を設けたりすることです。

急いで葬儀を終わらせてしまうよりも、少しでも長く故人のそばにいたいと思うのは自然な感情でしょう。現代人も無意識のうちに、もがりの精神を実践しているのかもしれません。

形式は変わっても、大切な人との別れに時間をかけることの意味は変わりません。もがりから学べることは、今でもたくさんあるのです。

もがりから学ぶ悲しみとの向き合い方

1. 時間をかけて現実を受け入れること

もがりから学べる最も大切なことは、悲しみには時間が必要だということです。すぐに立ち直ろうとする必要はありません。

大切な人を失ったとき、人は深いショックを受けます。その事実を心の底から受け入れるには、どうしても時間がかかるものです。

古代の人々は、それを本能的に理解していました。だからこそ長期間のもがりという形で、ゆっくりと現実と向き合う時間を設けていたのでしょう。焦らず、自分のペースで悲しみと付き合うことが大切なのです。

2. 感情を抑えずにありのまま悲しむ大切さ

もがりでは、集まった人々が泣き叫ぶこともあったと記録されています。これは感情を素直に表現することの大切さを示しているのではないでしょうか。

現代社会では、人前で大声で泣くことは憚られるかもしれません。けれど、悲しみを押し込めてしまうのは心に良くありません。

思い切り泣くこと、悲しむことは決して悪いことではないのです。むしろ感情を解放することで、心が少しずつ軽くなっていきます。ありのままの気持ちを受け入れることが、回復への第一歩なのかもしれません。

3. 思いを馳せながら少しずつ前を向く

もがりの期間中、遺族は故人に思いを馳せながら過ごしました。同時に、遺体の変化を目の当たりにして、別れの現実も受け入れていきます。

この両面性が重要なのです。悲しみに浸るだけでもなく、無理に忘れようとするのでもありません。故人を想いながらも、少しずつ現実を受け止めていく過程が必要なのです。

前を向くというのは、忘れることではありません。故人との思い出を大切にしながら、自分の人生を歩んでいくことです。もがりは、そのための準備期間だったといえるでしょう。

死別から立ち直るための考え方

1. グリーフケアの4つのプロセス

現代では、グリーフケアという考え方が注目されています。これは大切な人を失った悲しみをケアする方法です。

グリーフケアでは、悲しみからの回復には4つのプロセスがあるとされています。まず現実を受け止められない「ショック期」。次に感情が不安定になる「喪失期」。そして自分を責めたりする「閉じこもり期」。最後に新たな関係を築く「再生期」です。

このプロセスは個人差がありますが、1年から5年ほどかかるともいわれています。もがりの考え方と似ていますよね。悲しみには段階があり、時間をかけて向き合う必要があるという点は共通しています。

2. 同じ境遇の人と感情を共有する

悲しみを誰かと共有することも、立ち直るためには大切です。特に同じような境遇にある人となら、気持ちが伝わりやすいでしょう。

もがりでも、近親者が集まって一緒に悲しみました。ひとりで抱え込むのではなく、みんなで故人を偲んだわけです。

現代では、グリーフケアのワークショップなども開催されています。そこでは同じような経験をした人たちが集まり、感情を共有します。つらい気持ちを分かち合える場所があることは、心の支えになるはずです。

3. 無理に立ち直ろうとせず自分のペースで

最も大切なのは、無理に立ち直ろうとしないことです。周囲の目が気になるかもしれませんが、悲しみの深さは人それぞれ違います。

自分の気持ちに正直になることが大切です。まだ悲しいのに無理に明るく振る舞う必要はありません。自分のペースで、ゆっくりと前に進めばいいのです。

もがりが長期間にわたる儀礼だったように、悲しみから回復するには時間がかかります。それは決して弱いことではなく、人として自然なことなのです。

現代にも通じるもがりの意味

1. 別れの悲しみは簡単には癒えないもの

もがりから学べるのは、別れの悲しみは簡単には癒えないということです。古代の人々も、現代の人々も、その点は変わりません。

大切な人を失った痛みは、時間が解決してくれる部分もあります。けれど完全に消えることはないかもしれません。それでいいのです。

悲しみを抱えながらも、少しずつ日常を取り戻していく。そのプロセスこそが大切なのだと、もがりは教えてくれます。

2. 形は変わっても想いは不変

もがりという儀礼そのものは、ほとんど行われなくなりました。しかし、そこにあった想いは今も変わらず受け継がれています。

通夜や葬儀、法事といった形で、私たちは故人を偲び続けます。形式は変わっても、大切な人への想いを表現する方法は残されているのです。

時代とともに風習は変化します。けれど根底にある「大切な人を想う気持ち」は、いつの時代も変わらない普遍的なものなのでしょう。

3. 喪の期間を大切にする文化の価値

もがりは、喪の期間を大切にする文化の表れでした。すぐに日常に戻るのではなく、特別な時間として過ごす意味があったのです。

現代は効率が重視される時代です。けれど、悲しみに向き合う時間まで効率化する必要はありません。むしろゆっくりと時間をかけることに価値があるのです。

もがりの精神を見直すことで、私たちはもっと心豊かに生きられるかもしれません。古代の知恵には、現代にも通じる大切なメッセージが込められているのです。

まとめ

もがりという古代の葬送儀礼を知ることで、悲しみとの向き合い方が見えてきます。時間をかけて別れを受け入れ、感情を素直に表現することの大切さは、現代にも通じる教訓でしょう。

大切な人を失った悲しみは、簡単には癒えません。それでも少しずつ前を向いていくことはできます。焦らず、自分のペースで歩んでいけばいいのです。

もし今、深い悲しみの中にいるなら、グリーフケアなどの支援を受けることも考えてみてください。ひとりで抱え込まず、誰かに気持ちを話すことから始めてみませんか。古代から受け継がれる知恵が、きっとあなたの心を支えてくれるはずです。

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